あるクラスの男の子について、少し前から私たちプログラミングスクールのスタッフの間で「どうしたらいいかな?」と気にかけていたことがあります。
それはその男の子が何かを学んだあとに「分かったフリ」をしているように見えていたことです。
そこで、いま一度「分かったフリ」についてどのような時にそのような行動になるのか、どのように対応すればよいのか振り返ってみました。
今回は、プログラミングスクールで授業中に子どもが分からないふりをしてきたときの接し方、授業を進め方について考えてみましょう。
分かったふりをする理由
分かったフリをすることについて、どのように対応していけばよいのかを考えていく前に、分かったフリをする理由を整理してみました。
これまでのスクールでの体験から、主にこれから紹介する3つの理由が思い当たります。
怒られるのがいや
気持ちはわかります。
私自身は正直にわからないとかだからやってないとか言ってしまうので、いい大人になっても会社から「は?気軽にやってないとかいわないでくれる?!」とか「うん、あのちゃんとココに書いてるけどね」と叱られていました。
事実を伝える現状報告のつもりがお説教タイムになるのです。
だいぶたってからモノには言い方があるのだなと気が付きましたが、子どものうちはまだそのような学びもむずかしいですよね。だいたい聞かれたから答えたのに、いまだに理不尽だなとは感じます。
分からないことが分かってない
これは怒られるのがいやにもつながりますが、印象に残っているエピソードがあります。私がプログラミング講師になるときに若くて知識のある後輩にプログラミング言語を学んでいた時のこと。
説明されている言葉や内容の意味からわからないため、相手の説明を止めながらメモを取っていた所「ちょっと!まずは聞いてもらっていいですか?!」と怒られたのです。
仕方ないので聞き取れる範囲でメモしながら通しで聞きましたが、ほとんど頭に残っていません。それで「何かわからないところはありましたか?」と聞かれたので「・・・・まずは自分でやってみます」とだけ返事しました。
その後、別の親切な人に聞きに行ったのはいうまでもありません。分からないことすら、分からないときは「フリ」というより返す言葉もありませんでした。
プライドがそうさせる
プライドの高さゆえ、分からなかったことを人に知られたくないという心理が働くようです。とりわけ周りに人がいるとそうなるのかもしれません。
ところでプライドが高いというのも比較的悪い意味で使われることが多い気がしたので、ふとプライドが高い人の行動を調べてみました。
その中で自分のかっこ悪さや間違いを認めないというのがあり、その理由が特に好きなことや得意なことに対して多いとありました。
なるほど。少なくとも今回気になっている子どもはすでに上のクラスに行くことをとても楽しみにしています。好きだからこそ見栄をはるような行動になっているのかもしれません。
教え方を変えてみよう
子ども目線で調べてみはじめたものの、どの理由も大人でも当てはまる要素がありました。自分に置き換えてみても相手の反応を気にするゆえの行動もありました。
ですが、せっかくプログラミングをスクールに学びに来ているのだから「どんどん新しいことを吸収していける状態であるか?」ということが大事なのです。
「分かったフリしているのかな?」と講師が気が付いているのですから「まずはどうしたら学習内容が身につくのか?」ということを再考する必要がありました。
説明だけではダメ!質問をして答えてもらう
私たちのプログラミングスクールでは、子どもたちの頭で考えさせる時間を作るようにしています。そのため、質問をして答えてもらうということは、すでに実践している当たり前のことのつもりでした。
しかし、今期の授業は正しいプログラムの見本を見せながら順を追った説明をしていくという流れも取りこんでみたのです。
それはそれでうまくいっている面もありましたが、子どもによっては伝わりにくい、授業展開になっていたのかもしれません。
どうやら今回初めて知った話ですが、教える時に「こうやるんだよ」と順序立てて説明をしたところで脳の仕組み的に順番通りには伝わらないらしいのです。
理論的な説明をしても頭に入らないことがあるとは考えたこともありませんでした。それについては、また別の機会に検証しますが、これは目からうろこでした。
実践をしてもらう
プログラミングスクールなので実践しないことには次につながりませんから、対策としては目新しいものではありません。基本的には毎回の授業の中で理解度は講師も本人も認識できるのです。
ただ、いざ実践させる段階になると、いろいろ理由を付けて取り組もうとしない事例があり「どうやって取り組ませるか?」と悩むことがあります。
例えば「今日は疲れた」とか「めんどうだからやりたくない」と言った発言が代表的なのですが、もしかして、わかってないからやりたくないという発想も必要かもしれないなと思いました。
一見、分かったフリとは違いますが、分からないことを隠している場合もあるのかもしれません。
行動そのものは問題ではない?
今回、いろいろ調べていく中で嫌な気持ちになったことがあります。
分かったフリのことをウソをつくと表現している文章が目につくことが多かったことです。『その表現はどうなのかな』と感じました。
冒頭でふりをしているように「見える」と書いたのもウソと表現することへの抵抗でした。子どもは意図的にウソついているわけではないかもしれないからです。
一方で、私にとってウソをつくこと=悪意があるという認識があるのだなとも感じました。
だからこそ、分かったふりをすることをネガティブな行動と捉え「その子をどうしたらよいか?」と考えてしまった気がします。
分からないといえる環境づくり
私自身は知らない、わからないと言えるほうですが、それでもよく考えたら敷居が高い場所では知らないことがばれないように挙動不審になってしまうことがあります。
「もし子どもが同じような感覚だとしたら・・・?」
自分の受けもつスクールがそのような場所ではあってはならないと考えています。
子どもたちが楽しく学べる指導をするとともに、知らなことも積極的に学びにいく姿勢を持ってもらうためにも、分からないことは分からないと言い合える環境を作っていかねばと思います。